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アニメーション学科 吉松孝博氏インタビュー

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【プロフィール】
吉松孝博(よしまつ・たかひろ)
1965年8月27日生まれ。大阪府出身。スラジオライブ所属。最近作『砂ぼうず』『十兵衛ちゃん2-シベリア柳生の逆襲―』『BLACK CAT』『牙―KIBA-』『レ・ミゼラブル 少女子ゼット』(渡辺はじめと共同)『大江戸ロケット』『俗・さよなら絶望先生』などの絵コンテ、キャラクター・デザイン、作画監督を行う。サムシング吉松名義で漫画(本人曰く、インチキ漫画家)も描き、『週刊プレイボーイ』など雑誌でも活躍中。趣味は自主映画で『プロレス観戦ツアー!Beefsteak in New York』『プロレス観戦ツアー! 三匹がハリウッドを往く!』『ロサンゼルス・ツアー!The Days of the Twenty Four』『闘え!ドラゴンマン』などなど続々制作中。公私ともに忙しい毎日である。写真はすべて、ニューヨークにて撮影中の吉松孝博氏。
※自主映画タイトルはすべて仮題

【アニメーション学科へのメッセージ】

「僕の場合は、スタジオライブを見学に行って、落書き帳を持っていったのがライブ入社へのきっかけでした(詳しくは、インタビュー参照)。ただ、落書きといえども、エンターテインメント性がないといけないなあ、と。どれだけウケが取れるのかっていうのを考えていましたから。ウケてなんぼでしょっていうのは強くあります。

 スタジオライブ入社後も、何か特殊に教えてもらったもらったっていう記憶はあまりありません。自主製作をやっていたんで、ある程度はわかっていたというのもありますが、僕の場合、ようするに目立ちたがりだったんですよ。

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アニメーションって、共同作業と思われがちなんですけど、目立ったもの勝ちかと。もちろん、それぞれのパートがあると思いますが、そのそれぞれが目立つようにがんばってやっていけば、良い作品も出来るかと。担当の原画が数カットであっても、目立っていれば、あとであれは誰がやったの? ボク、ボク、ボク! と言えるようなくらいの。

何かモノ(作品)を作ることへ参加する喜びって、楽しいと思うんです。そんな楽しいことをやり続ければ、チャンスはいくらでもあると思っています。面白いことをやっていると、何かしら見ているひとがいると思います。作るひとは、そう思ってやっていかないと。

何をやるにしても、手に取って見たひとにウケなければ。絵を描く以上、ウケなければならない、とそう思いますね」

【吉松孝博さんインタビュー】

多くのキャラクター・デザインや作画監督で活躍中の吉松孝博氏。忙しい時間をぬって、今回の取材をお願いした。筆者と吉松氏の付き合いは長いが、「どうしてアニメーターになったか」といった質問は初めてだ。

「もともとは・・・アニメーションというよりも、絵が動くというのに凄く興味があったんです。一番初めにパラパラ漫画を作ったのが小学1年か、その前あたり。その当時、生命保険の子供向け冊子に『おんぶおばけ』のパラパラ漫画があったんですね。それを見て、自分でも作ってみようと。それ以来アニメーションには興味があって」

 実際に見ていた?

「子供の頃は、見てはいましたね。ただ、アニメは見ていたとは思うんですが、どっちかというと実写が上位でして(笑)。東映まんがまつりよりも、ゴジラ(東宝チャンピオン祭り)でした」

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「中学に入って、美術部に入ったんですね。その美術部は毎年、文化祭にアニメーションを発表するという伝統がありまして、そこで上級生になった時に紙のアニメーションを作り、好評博したと(笑)。セル・アニメはとても作れないので、ルーズリーフにサインペンで描いたもので、3分くらいだったかな。文化祭で、アニメーションはウケるんですよね」

 そして、中学卒業、高校進学。
「中学の仲間はバラバラになったんですが、高校に進学した後、今度はセル・アニメを作ろうということに。当時、DAICONのアニメがあって『月刊アニメック』(アニメ専門誌)に、その作り方が書いてあったんですね。工業団地に行ってセルを買ってきて、裁断して使ったとか。うちらも買いに行こうとなって、買いに行ったり。その後、サイズをどうしようかとなった時に、うちらはB4くらいでやってしまって(笑)。DAICONのセルって、B5だったんですね。なんだか物凄く大きいという。その後、現在の仕事についてから『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(劇場版第1作)のセルを見る機会があったんですが、これのセルが大きくて、懐かしく感じましたね」

 凄い行動力! なんというか熱さがありますね。

「当時は、DAICONのアニメもそうですが、女の子とメカというのが流行りで、そういうのを作ろうと思っていたんです。でも、そのメンバーの中に、優秀な人がいまして。今は漫画家で活躍中の椎名高志さんがいたんです。椎名さんには、そんな(女の子とメカ)のような志の低いものを作っていちゃダメだ、なんて言われまして。そこで、アメリカとソ連の冷戦があった頃だったので、それぞれの国の代表が宇宙空間から大気圏に突入して雌雄を決する、というアニメになったんです。アメリカのアポロとソ連のソユーズから出てきたオヤジふたりによる大気圏突入素潜り対決でした。むさいオヤジが二人しか出て来ないもので、お手伝いがすぐに辞めて行っちゃうんです。塗ってても楽しくないから(笑)」
 椎名さんも、漫画は女の子が多いのに(笑)。

「その作品は、メンバーそれぞれの文化祭で上映されて、好評を博しました(笑)」

 こうして、中学・高校とアニメーション作品を作っていた吉松氏だったが、なんとアニメーターになる気はなかったという。

「アニメーターではなくて、実は僕はそれまで漫画家になりたかったんです。アニメはあくまでも趣味というかサークル活動だったんですが、椎名高志さんに会った時に、ああ、こういう人が漫画家になるんだろうなあっていう思いがあって。高校3年のある日、先輩に突然『吉松はアニメーターになるんだよな』と言われたことがあって。そうなのかって(笑)。そうか、アニメーターかもしれないな、と初めて思って。当時はアニメ・ブームで『アニメージュ』なんかでも、アニメ・スタジオが紹介されていたんですよ。その中に『スタジオライブ』が紹介されていて、アットホームで良い感じのスタジオだなあと思い、特撮を目指していた友人と見学に上京したんです。特撮を目指していた友人とは、デン・フィルムエフェクト(光学合成などを行う)へ行ったり。スタジオライブは、連絡先がわからなったんですけど、電話帳で電話を調べて向かったんです。その時は、社長が不在だったので、絵を預かってもらおうと思い、当時描きためていたルーズリーフを置いてきたんです。雑誌の記事には、きちんとした絵ではなく、いろんな落書きが見たいと書いてあったので」

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たくさんの落書きの描きこんであるルーズリーフをポンと置いて帰った吉松氏。社長は不在だったが、そのルーズリーフがきっかけで後日、スタジオライブから電話連絡が入る。

「社長から電話があって、キミはライブに来なさい、と言われまして。ありがたかったです。その時に、きちんと勉強するように、と強く言われて。渡したルーズリーフの中に、赤点の英語のテストの答案用紙が入ったままだったんです(爆)。薬師丸ひろ子の切り抜きとかも入っていたみたいです(笑)。数年間、社長室に置いてあって、見学した人が見れるようになっていました」

 高校卒業後、上京。スタジオライブに入る。

「スタジオライブに入り、現在に至る」

 それじゃ終わってしまう(笑)。では、何か転機みたいなのってありました?

「やはり『サイバーフォーミュラ』からかなあ。あのキャラデザも、元々は別のひとだったんですよ。その方が別の作品をやることになって、じゃあ、吉松やってみるか、となって。チャンスはいくらでもあると思うんですよ」

 吉松氏と話していると、アニメーター=技術職、絵を描く職人でありながら、実は如何にウケるかという芸人のように感じる。以前の会話で、自分よりも巧いひとも早いひとも大勢いる、けれどもそうしたひとが遊んだりサボってしまったり、いろんな理由で仕事をしなくなってしまうひとも多いというのを聞いたことがある。だからこそ、楽しんで続けること、『目立ってウケる』のが一番といえるのだろう。

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最後にキャラクター・デザインについて訊いてみた。

「僕は原作もののアニメーションのキャラクター・デザインをやることが多いんですけども、原作者さんより頂いたキャラクターを咀嚼して、吉松なりにアニメにするにはこういうキャラクターのアニメが見たいなあ、というのを出しています。似顔絵というか、原作そのものの絵を見たいのであれば、僕でなくても良いのかもしれません。今までは原作者さんにも恵まれまして、概ね仲良くやって来ています。キャラクターを頂いている以上、出来るだけ失礼のないようにしていますが。 キャラクターを作る時に心掛けているのが、手に取って見るひとにウケること。まずは、原作者さんや監督さんが最初に手にするのですが、そこでウケなければならないと。そこから先にどんどん広がって行く訳じゃないですか。作画スタッフが見て、ウケて、完成したものを見て、ウケて。絵を描く以上、ウケないと、と思っています」

 いかにウケるか。
 本当にウケるためには、ただの目立ちたがり屋ではなく、実は物凄く努力(本人は楽しんでやっているため、努力という表現は当てはまらないのかもしれないが)が必要といえる。楽しんでやる、の裏にあるのはそれこそが「好き」で「面白い」と思い続けることなのだと思う。

取材・撮影・文/ドクトルF

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