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アニメーション学科 木村真一郎監督インタビュー

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【プロフィール】
木村真一郎(きむら・しんいちろう)
10月4日生まれ。広島県出身。大阪芸術大学卒業後、制作スタジオに入り、制作進行などを経て、現在、監督・演出・絵コンテなどに活躍。『破妖の剣ー漆黒の魔性』で演出デビュー後、多くの作品で活躍。最近作は『まほらば~Heartful days』『かりん』『つよきすcool×sweet』『Venus Venus Venus』『吉永さん家のガーゴイル』『ながされて藍蘭島』『おおきく振りかぶって』『大江戸ロケット』『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』『シゴフミ』『機動戦士ガンダム OO』など。

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【アニメーション科へのメッセージ】
学生の時は、学生らしい生活をすればいいと思います。僕自身、大学時代はパチンコばかりしていたし(笑)。
友達と深夜までファミレスでおしゃべりしたり、遊びに行ったり、学校で騒いだり・・・なんでもことないことが、実は後で役に立ちます。
今のアニメ作品は、多くが十代の主人公ですし、学園モノもあるので、なおのこと学校での「なんでもないようなこと」って重要だと思うんですよ。世代は違いますが、その本質は変わらないし。

なんでも学校で学べるかというと、おそらく授業以外に学ぶ価値が大きいんじゃないかと思っています。

しっかり遊んで、課題もやって(笑)。
遊んでいるのは無駄にはなりませんから、あせらずに行って欲しいですね。
これから専門学校が舞台のアニメが出来てもおかしくないでしょうから、専門学校での学生生活の楽しさや悩んだことなんかは、将来、役に立ちますよ。

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【木村真一郎監督インタビュー】
木村真一郎監督、略してキムシン(以下、キムシンと略す)。力強い眉毛と柔和な笑顔で、その口調は優しい。広島出身のキムシンはどんな子供だったのだろうか。

「小さい頃はテレビっ子でしたね。もう、今で言うひきこもりに近かった(笑)。オヤジがタンカーに乗っていたので、ほとんど家にいなかったんです。長い時には1年間近く家に帰ってきませんでしたから。そこで母親に引きずられるように観ていたのが、たくさんのテレビドラマ。『肝っ玉かあさん』や『ありがとう』、『水戸黄門』から『大岡越前』といった時代劇、青春モノ、ドリフターズはもちろん、毎週土曜の『花月劇場』を楽しみに、学校から走って帰ってくるような子供でしたから」

当時のアニメで印象に残っている作品ってありますか?

「一番印象に残っているのは・・・・・・『タイガーマスク』かな。プロレスは地方巡業があるでしょ。タイガーマスクたちが広島に来る回があって。これが凄い描写でねえ、広島ってこんなに貧乏だったのかと思って(笑)。テレビは凄く観ていたんですが、いわゆるお父さんの観る番組、野球とかプロレスのようなスポーツ番組はほとんど観ていなかったんですよ。だから余計に印象に残っているのかも」

アニメと同時に漫画の単行本を買い始めたキムシン。しかし、時はオイルショック!

「単行本がねえ、巻を重ねるごとに値上がりしていって・・・。あれはショックだったなあ」

漫画の単行本が毎巻値上がり! たしかにそういう時代があったのである。
その後、中学では陸上部(名前だけ)、高校で映画研究部(観る専門)だったキムシン。高校1年に創刊されたアニメ専門誌『アニメージュ』は、2号めより毎月購読。ムックとして出されていたアニメの「ロマンアルバム、特撮の「ファンタスティック・コレクション」も買い(というよりも、当時は他に選択肢がなかった)、高校時代を過ごす。
落描きは好きだったキムシンであるが、この高校時代にYMCAの短期講座でデッサンの勉強をしたと言う。
そして、いよいよ進路について決める時期になる。
「教員免許を取るから、と親に言って、大阪芸術大学に行くことにしたんです。先生モノのドラマが好きだったというのもあるけれど(笑)。専攻は美術科で、油絵をやっていました。コミック・アニメーション・サークルに入り、あとは・・・パチンコが多かったかなあ(笑)」

最近のパチンコの液晶画面による演出は凄いもので、アニメーションも多く、特にリーチ画面など工夫の凝らされたものが多い。何度も観るものなので、飽きさせないような演出、派手な動きとなっている。

「実際、自分のキャラクターがパチンコの画面になったら・・・・・・って、思い浮かびますよ、その画面が(笑)。自分だったら、どう演出するかとか」

好きなものであれば、自分だったらどうするか、こう考えるのは必要だと思う。
在籍した大阪芸術大学は多くの才能を輩出し、士郎正宗さんや庵野監督など、漫画やアニメーションの世界で活躍している方は多い。キムシンと同期には、『GON』の漫画家・田中政志さんや『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の加戸誉夫監督がいた。
そして、中学一級・高校二級の美術教員免許を手にして、大学卒業ーー。

「その頃は、あんまり情報がなかったんですが、葦プロへ見学に行ったりしまして。ああ、動画っていうものがあるんだ、とか(笑)。
そして、ジャングルジムという制作会社に入り、動画を描いてました。でも、なかなかうまくならないんですよね。同じ絵を描き続けても、飽きちゃうんです。で、シートの書き込みに興味が出てきて。マルチとかスライドとか下タップとか。まあ、セル画にフィルムだったので、今になって役に立つものじゃないんですけれど」

振り出しの動画をやめ、スタジオワールドへ制作進行として入社。そこで演出を既にやっていたのが、『MONSTER』の小島正幸さんや『デジキャラット』の桜井正明さんがいた。

「小島さんや桜井さんには、ずいぶん迷惑をかけてしまっただろうなあ、と思いますね。そこでは撮影までの流れを覚えました。リテイクでセルの切り貼りとかやって。その後、安く仕上げるために韓国へ出し始めて」

韓国での制作部分が多くなり、キムシンもスタッフとして韓国へ派遣。動画チェック、仕上げチェックなどフル回転。

「多いときで、1ヵ月以上韓国にいて。留守中にアパートの電気が止められていて、帰国したのはいいけれど、しょうがないから会社に戻って泊まって、電気代だけ払って、再び韓国へ行って(笑)」

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そんな韓国のスタジオでのある日。
『木村さんの会社、つぶれましたよ!』と言われる。

「びっくりしましたねー。とにかく帰国しようと、その時にいた日本人が集まって、なんとか帰国。その時に僕は演助(演出助手)になったばかりだったんで、その後がなかなか決まらなかったんですが、知り合いも増えていたし、なんとかなるだろうと。制作進行から再び始めるということでマジックバスへ入ったんです」

ここでキムシンは『破妖の剣ー漆黒の魔性』(上下巻ビデオ)で演出デビュー。

「僕の場合は、運が良かった部分も多いんですけどね。その時に監督だった方がやめてしまったというのもあって」

その後『銀河英雄伝説』。そう、『銀英伝』である。

「銀英伝はいろいろ苦労しましたねえ。ずいぶん怒られたし。長台詞が多いんですが、切っちゃダメなんだよって怒られながら」

『熱血最強ゴーザウラー』『元気爆発ガンバルガー』OVA『新世紀GPXサイバーフォーミュラ ZERO』などの各話演出を手がける。

「そこで、初監督作品がエッチものだったんです」

記念すべき初監督作品、それは何?

「名前も変えてあるので、タイトルも名前も覚えているけど、教えない(笑)」

テレビアニメ(今でこそ珍しくないペイパービューだが、アニメ初のペイパービューとなる)『BURN-UP EXCESS』の監督(絵コンテ・演出)を手がけた後、フリーとなる。
フリーとなってからの活躍は、プロフィールにあるタイトルの通り。現在、旬のアニメ監督のひとりだ。

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注目すべきは『ハンドメイド・メイ』以降。

「美少女モノが多くなってしまって・・・・・・。なぜなんでしょうねえ」

これもまた、安心して仕事を依頼出来る監督という証拠ではないかと思う。美少女モノが続くようだけれど、やってみたいものって何がありますか。

「自分で作ってみたいのは『トム&ジェリー』のようなコメディなんですよ。拳銃でバンバン撃たれた後に、水を飲むとカラダのあちこちからぴゅーーっと水が噴出す、そういうのがやりたいです」

職人的で、先生のようで(教員免許もあるので当然ですね)、実にオトナな監督のキムシン。在籍していた会社がなくなったり、いろんな苦労もあるのだけれど、しっかりした作品作りによって、多くのひとに信頼されている、現在旬のアニメ監督のひとりだ。

「大変だよとか、しんどいよとか、口にはするんですけど・・・・・・。一度もやめたいと思ったことはないんですよ」

おそらく一生やめられないものなんですよ、モノ(作品)作りというのは。筆者はこういう先生に教わりたかった、なんて思うのでした。

取材・撮影・文/ドクトルF

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