身体に絵を描くボディペインティング、観客の目前で製作するライヴペインティング、さまざまなアーティストとのコラボレーション。林明日香プロジェクトをはじめ、EDWINなどメジャーな活動を次々と展開する神田サオリさん。そんな彼女も、はじめはただ絵を描くのが好きな女の子だったのです。その神田さんは、表現者としてどう成長してきたのか? その軌跡をお聞きしました。絵を描いていきたい! 自分の表現を続けたい! という人はきっと、勇気づけられたり、励まされたりするんじゃないでしょうか。元気の出るインタビュー、発進です!
■神田サオリ インタヴュー
――こういう世界に入るというか、絵を描きはじめられたきっかけからお聞きしたいと思います。
ちっちゃいときから、当たり前に絵を描いてました。絵を褒めてもらうと嬉しくて、調子に乗ってまた描くって感じでした。すごく恵まれた環境だったんです。幼稚園も自分で表現することの楽しさを大切にしてくれる所でしたし。
それと、父の仕事の関係で二、三歳のころからイラクに行っていたのが大きいですね。日本みたいにゲームとかほとんど無くって。父がいらなくなったテレックスの紙の束を会社から持ってきてくれると、それが何よりのオモチャで、イェー! とか言って喜んで絵を描きまくってました。
ドバイでは日本人学校へ通いましたが、人数が少ないんですよ。今にして思うと、子供の得意な事を伸ばして、自発的にどんな環境でもがんばれる子を育てようという意識の強いところでした。「はい、わたし、文集の絵を描きます」というと、周りのみんなが認めてくれる、とか。そういう環境で、わたしは絵がスキ!という事をのびのび出していけたのが大きかったと思います。
――日本の学校とはずいぶん雰囲気が違いますね。
そうですね。わたし、小六でドバイから日本に帰ってきたんですが、教室で何か催しの計画の際に自主的に、はあい、わたし絵描きます! みたいな事を言ったんですよ。そしたら、まわりがシーンとしてしまったので、あれ? あれ? みたいな感じで。それで、中学校とかではあんまり周囲から浮かないようにする様になりました。
だから、周囲を気にせず絵を描く事に没頭しまくるっていうのは、美大受験の予備校に行くときまでなかったですね。それがすごく久しぶりで。だからすっごい楽しくて。受験も、とにかく絵が好きだっていうのをぶつけて、その勢いで通ったって感じだったんですけど(笑)。
――大学はどんな感じだったんですか。
視覚伝達デザイン科って所にいたんですけど、大学に入っちゃうと、逆に自分が何をやりたいのか分かって無い事に気づくってのがよくあるじゃないですか。それに、自分がやりたい事と、それにぴったりのジャンルが学科の区分にあるかって言うと決してそうじゃなくって、居場所を急に見失っちゃったりする人もいるし、わたしも、課題で出された事をやるだけでは、全然自分の居場所がないという感じがしてたんです。
それで、大学時代に知り合った映像やってる方とか、音楽が好きでDJやってる方とかに出会ってくうちに、大学の外のいろんなイベントに顔をだして、自分が今、一番夢中になってる事をぶつける機会を求めるようになりまして。
――それが、さまざまなコラボレーションに繋がっていったわけですね。それはやはり、神田さんから積極的に動いていった結果だと思うんですが、具体的にこういう事をしたら、話が転がっていって……というエピソードがあれば、聞かせてください。
楽しい方へ楽しい方へ行動してただけなんですけど(笑)。だから、気がついたら六本木のクラブで友達とかにボディペイントとかして、はぁ楽しい! みたいな。で、会場装飾にも、もっと凝ろう! てノリで、わたし絵描いてくるから会場にそれ飾ろうよとか言って、なんかもう現場に行ったらこうアイデアも出てくるし、やりたい事も見つかるし、やってみて出来なかったら悔しいんで次もっとがんばるみたいな。そういう感じですね(笑)。
なにかやって出会いがあって、またなにかやって出会いがあっていう繋がりで、今まで来ています。いま、一緒に仕事をさせていただいている荻田さんていう方も、渋谷パルコの中の「ふりふ」っていうお着物とかを扱っているお店で、店頭のパフォーマンスで描いてるときに来てくれたお客さまだったんですよ。
わたしは見せたがり屋っていうか、他人の視線が大切なタイプなんです。人の眼に触れてる状態で絵を描くと、すごくこう自分の意志だけではない線が描けたり、集中できたりするんですね。
――人前で描くということですか?
そればっかりでもないんですけど、わたし、大学四年間、ロイヤルホストでバイトをしていたんですが、お客様用テーブルでずっと画材を広げて絵ばっかり描いてたんですよ(笑)。店長の了承を得て。そうすると、いろんな方が話しかけてくれたりしたし、一緒に働いてた子が「神田さん、そんなに絵を描くのが好きなんだったら、ぼくの実家がケーキ屋さんやってるんだけど、壁に絵を飾る?」って言ってくれて。そこはちっちゃいところだったんですけど、はじめての個展で嬉しくて飾らせて貰って。
やっぱり飾ると誰かに見てもらいたくなるんですよ。ただ描いてファイルに入れて持ってるより、苦労して額に入れて、自分なりに飾ったら沢山の方に見てもらいたくなるから、お知らせのDMを作ったり、送ったりするのもがんばるし。それに、来てくれた方の言葉がえらい沁みるんですよね。嬉しい言葉も、ちょっと批判的な言葉も。
で、そうこうしているうちに、展示を見て反応してくれた方が「ウチにも展示できるスペースがあるから出してみない?」とか言ってくれたりして……。だから、いろんなポイントごとにきっかけがあったんだと思います。バイト先で絵を描いてしまうくらい、人の視線の中で作ってるのが好きだっていう、自分を素直に出し続けたのが良かったのかな(笑)。でもそれが最善の方法とは思えないです。わたしはそういうタイプだってだけで。
――一度、アパレル関係の会社に就職されていますよね。それは、どういった考えで就職されたんですか。
はい。大学を出て新卒で会社に入ったんですけど、まず、自分が絵を描くという事と、ファッションとが自然に近い事だったんですね。だから、就職の時に考えたんですね。大学にいる間は学生っていう肩書きがあるから、一応は「絵を描いている」わたしの居場所はあるんだけど、これが社会に出たらどうなんだろうって。わたしが好きでやりたい事って、どんな職業にくくられるんだろうって考えたんです。それで、服に絵を描くというのをずっとやっていたし、それにこだわりもあるし、ファッションの世界にすごく刺激を受けていたので、そっちで就職先を探そうと思ったんですね。
――就職したことは、自分にとってプラスになっていると思いますか。
いまだに就職していた時のプラスはとっても大きいです。就職していなかったら、多分今できている事の半分くらいできて無いかも知れない。
――具体的にはどんな?
入社していきなり「コーディネイター」という仕事に就かせてもらったんですね。いま、ファッションの何が流行っているかをリサーチして、例えば地方の店舗の方に、今回、会社が投入した商品はこういうものです……というのを伝える役目です。ただ中々口で言っても伝わらないから、商品を具体的に店頭でディスプレイするヴィジュアル指示書等を作ったりしてました。バイヤーさんがこのシーズンにこういう商品を入れたのは、今、渋谷の若い女の子たちがこうこうこうだから……というような事を説明する資料ですね。そこで、やっぱり絵を描くのが好きだから、各店舗のバイトさんたちが楽しく読めるように、ちょっとショートマンガみたいなのを作ってみたり、工夫して。
――相手が具体的にいて、しかもわかりやすく説明しないといけない訳ですから、真剣に考えますよね。
そうですね。わたし、それまでは自分の世界にどっぷりだったんですよ。それが、自分の好きなジャンル以外の服も見るようになったし、仕事だから渋谷の109も上から下まで全部、見に行ったりとか、渋谷も新宿も青山も、うおぉ~リサーチだぁ! って歩きまわったり……とにかく、自分の好み云々じゃなく、目を広く見開いてみようっていう機会をいただいて、更にそれを他人に伝わりやすい形で出す……自分の中で咀嚼して形に出すという仕事をさせていただいたのが、すごく良かったと思います。
――とても大切なことだと思います。
で、そういう仕事をやっているうちに、わたしはこういうのが好きだな、わたしだったらこうするな、というのがだんだん見えてきたんですね。そこで、すごく冷静に、じゃあ、わたしがやりたい事ってのはどういう位置づけの事なんだろう、この仕事のまんまじゃないなあと思い出したんですね。
――それで、会社を辞めて現在の活動に移られたわけですか。
そうです。「自分だったらこうしたい」という気持ちが強くなってって、以前程、会社の仕事に思いが込められなくなってきたんですね。それで、上司に相談して辞めさせてもらったんです。
――会社を辞めて最初の仕事が、林明日香さん*とのお仕事ですよね。それはどういうきっかけだったんですか。
本当に、縁なんですよ。さっきちょっと名前が出た荻田さんと仲良くさせていただいていて、ある時、某CMで協力して貰う事になるかもしれないから、作品ファイルある? っていわれてお渡ししていたんですよ。そしたら、そのCMの話は流れてしまったんですけど、荻田さんの(上司である)会社の社長がずっとわたしの作品の絵柄を憶えていてくれたんですね。そして、林明日香さんを社長が見つけたときにわたしの絵をぱっと思い出してくれて。「あの子、いまどうしてる?」ってことになって。その連絡が来たとき、ちょうど上司に「会社を辞めます」っていった後とかでびっくりだったんですけど。
*林明日香さん
歌手。平成元年(1989年)生まれ。東芝EMIより2003年1月、シングル「ake-kaze」でデビュー。平成生まれの実力派シンガーとして注目されている。神田さんは、デビュー三部作のPV、CDジャケット、衣装、ボディーペイント等アートワーク全般を担当
――すごいタイミングですね。
ほんと、びっくりなタイミングだったんですけど。実際、会社を辞める時には具体的な展望とかなかったし(笑)。確かにラッキーだとは思うんです。だけど、ただぼうっとしてて巡ってきた事では無いってのも自分ですごくよく分かってるんですね。
――自分の何がチャンスを呼び込んだんだと思いますか。
じゃあどうしたら? っていうマニュアルも別にないんですけど(笑)。
創ったものを誰かに見せたくなるくらい想いをこめて創作する事、そして創るのと同じくらいのパワーをもって、「魅せる(見せる)」事に自分のパワーを使うこと、それかなあ(笑)。
――その後、林さんのお仕事が順調にいって、また次の展開があると思うんですが。
明日香ちゃんのお仕事を通じて、プロの現場でメディアに出る時に、自分にはどういう事ができるかとか、そういった部分で勉強になりましたね。
明日香ちゃんの三部作まで担当させていただいて、去年の夏くらいに一度、プロジェクトから離れるって決めさせてもらったんですよ。自分の作品をばっと沢山の方に見て頂けたのはモチロン嬉しい事ですが、「神田サオリ=和風」みたいなイメージで語られる様になった事になんか違和感が出てきて。このまま期待されるイメージ通りのものを描く、というのでわたしはいいんだろうか? と思ったんですね。
わたしの場合、自分の創作とプライヴェートがすごく密接に結びついていると思うんですね。それまでずっと明日香ちゃんプロジェクトに居させてもらって忙しかったのから、ぽかあんと時間ができたというのもあって、自分を見つめ直すというか、何でわたしは裸の女の子を絵に描いてきたんだろうとか、いろいろ考えて、自分自身が本当にひとりの女性なんだなあという事を見つめ直したりしてたんです。野外音楽祭に沢山行ったり、キャンプとかしたりしながら。
それから、わたしがどうして「和」を大切にしていたかというと、やっぱりアラビアにいた頃の記憶があるからだよなあ、という事に気がついたんです。アラブにいたからこそ、自分の中の「日本」を自覚してきた。じゃあ今度は逆に、もう一度、自分のなかのアラブの部分をちゃんと表に出してあげたいなあって思って、そういう気持ちで作品に向き合って、去年の十二月の個展が出来たって感じです。またひとつ、こう「よっしゃ!」と叫ぶくらい自分なりに成長できたなと。で、今年になったって感じですね。
――今年はなんといってもEDWINの活動ですね。ライヴペイントなどをされていますね。
そうです。今年の五月に、EDWINの秋冬展示会に参加させていただきました。今回は、ライヴペインティングによる空間演出と、ボディペインティング、それから新作デニムアイテム等にペイントもさせて頂きました。
――あとはニューヨークへ行かれるという……。このインタビューを掲載した後に、このウェブサイトで「神田サオリのニューヨーク奮戦記」という企画も考えているんですが。
あー、ぜひとも! 実際のところ、ニューヨークではどうなることか分からないんです。ニューヨークのアートシーンが今、どうなってるかもまだ想像だけですし。
ニューヨークにいた方や、最近帰ってきた方から話をきいて、イメージを膨らませている段階なんですよ。まだ宿も何も決まってませんし、スケジュールも大幅に変わったりで。
――ニューヨーク行きのきっかけは「D&A」*なんですよね。
*D&A
デザイナーズ&エージェント。「最高の若手デザイナーとコンテンポラリーファッ ションを世界中のマーケットに」をテーマに、ニューヨーク、ロサンジェルス、東京 の三大都市で毎年春・秋に開催される展示会。オリジナル性の高い新しいデザイナー の発表の場となっている。神田さんは2004年4月の「D&A lab.」にて、ライヴペンティングによる空間演出などで参加
はい。海外のブランドを日本のマーケットに紹介する団体で、IFCAというのがあって、そこが日本側の主催者となっているイベントですね。ロサンゼルスやニューヨークから来た、カバン・洋服等の新進ブランドを紹介する展示会なんですけど。
――ニューヨークにはいつくらいから行かれるんですか?
最初は九月を予定しています。まずは行ってみてこようという感じで。実際、向こうで出来る事は、たぶん計画したことの半分くらいで、でも残り半分くらいは、今まだ想像出来ていないけど、向こうでのいろんな出逢いから刺激を受けて、またやりたい事がいっぱい起こるんだろうなって思っています。
――とても楽しみにしています。
聞き手:野口周三(映像プロデューサー)
構成:伊藤 剛(マンガ評論家)
神田サオリ
1978年山口県生まれ。幼少期をイラク・バグダット、UAE・ドバイで過ごす。2001年武蔵野美術大学卒。ライヴペインティング、ボディペインティングなどのほか、衣装製作、舞台美術なども手がけるヴィジュアル・アーティスト。
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