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SPOON

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1976年1月に設立され、今年31周年を迎えたSPOON。大阪に本拠地を置くイラストレーション・エージェンシーとして知られ、数多くのイラストレーターを輩出。大阪と東京の架け橋的な存在として、イラストレーション界の交流を推進してきた。

創設メンバーで初代社長の佐藤邦雄氏、二代目社長の西口司郎氏、現社長の中村譲氏に、イラストレーションへの取り組み、大阪で活動することの意味、絵を志す若者へのメッセージなどを聞いた。

イラストとの出会い:「絵を描いていたら他は何もいらない」

●佐藤:僕自身は、最初はイラストレーターを志していたわけではないんです。じつは父親が映画の看板描きをやっていて、そんな父親が嫌いだったので(笑)、絵を描く人にはならないと決めていた。だから、高校は土木科に進んだんですが、まったく自分には向いていなかった。それで、高校を卒業後は家でくすぶっていたんですが、そんなことばかりもしていられないので、大阪に出てきて、看板屋に入ったんです。
 でも、看板屋さんの絵って、自分を表現する絵ではない。だから、夜とか日曜日に外に絵を描きに行っていたんです。そんな生活を送っているうちに、「絵さえ描けたらいい」と思うようになり、デザイン学校に通うようになりました。
 そうやって、自分でひとつたぐりよせ、またひとつたぐりよせ、現在に至るというわけです。絵を描いていたら他は何もいらない。そこに行き着くまで、時間がかかりましたね。

●西口:僕は中学生のころからイラストレーターになろうと決めてました。まわりにイラストがあったんです。資生堂の『花椿』とか、マックスファクターの宇野亜喜良さんの絵とか、イラストの載った雑誌とかポスターが家にあった。実家が化粧品店で、田舎の店でも販促素材はちゃんと来てましたから。それで、気がついたらイラストレーターになっていました。21歳でした。

●佐藤:勤めていたデザインスタジオにイラストセクションというのがあって、僕と先輩のふたりでやっていた。当時は、デザイナーが絵も描いていた時代です。イラストレーターという肩書きを持つようになったのは、僕らからだと思います。
その後、西口くんが入ってきたりして、スタッフが5人になった。そうなると、みんなで同じような絵を描くわけにはいかず、各々の方向性を探さなければいけなくなった。

●西口:でも、実際は何でも描かなければいけない(笑)。何でも描けないとイラストレーターじゃない、なんて言われてた。でも、その中で自分がやりたいことを見つけようとはしていましたね。

●佐藤:それで、同じ事務所にいた5人で独立しようということになって、SPOONを立ち上げたわけです。

●西口:1976年、佐藤さんが35歳、僕が27歳の時でしたね。大阪は雑誌の仕事がないので、設立当初は、ほとんどが広告の仕事でした。

大阪発の心意気:「東京の人がやらないことをやろうとしていた」

●佐藤:SPOON立ち上げる時には、秘かに頭の中ではアメリカのイラストレーター集団
「プッシュピンスタジオ」を目指していました。関西というハンデ、仕事が限定されるということを覚悟したうえでの決心でした。
 でも、東京から仕事が来るというのは、僕らの何かが評価されていたんだと思います。大阪にいて、東京の仕事をする。東京もある意味、外国という感覚でした。オランダとかアメリカからも仕事が来てましたからね。

●西口:当時は、著名な人以外はイラストレーターの連絡先がわからなかった。イラストを頼みたいんだけど、連絡先がわからない。そうすると「誰かいないか」となる。それで、SPOONに頼めば何とかなる。SPOONに発注しておけば、いろいろなイラストを描いてもらえる、となったわけです。

●佐藤:東京にはいろいろな人がいるけど、東京の人がやらないことをやろうとしてましたね。それが動物をメインにしたリアル・イラストレーションです。リアルに描く人、漫画チックに描く人はいました。でも、その中間ぐらいがいなかった。

●中村:当時、イラストレーターの集団というのが、他にはなかった。おそらくSPOONが最初だと思うんです。フリーになるとみんな東京へ行ってしまうけれど、会社組織にしたので、上にたつ者は大阪に残らないといけなくなった。

●佐藤:でも、向こう(東京)から注目されると、もう行かなくてもよくなりますよね。

●西口:自分で売り込みに行くのは性に合わない。頭下げるのいやですもんね(笑)。

●佐藤:依頼されると、依頼者の“気持ち”を感じます。たくさんいるイラストレーターのなかから、わざわざ自分を選んでくれているわけですしね。

●西口:そうそう。東京の会社からの依頼だと、大阪在住の人に頼むという“勇気”を感じますよね。

●中村:出版社のほうから来てくれるなんて、すごいことだと思う。

●西口:電話がかかって来たら、手弁当でもやる。売り込むのではなく頼まれるのが大事。電話がかかって来て、仕事を依頼されて成り立っていく商売だと思うので、自信満々でやっていたわけはないですよ。

●佐藤:先駆者とか、そんな感覚はなかった。自分のことで必死でしたからね。

●西口:逆に考えると、東京から離れている分だけ自分を熟成させることができるのかも知れない。
東京は、時流を追いかけ続けることに汲々としているように感じます。でも、関西にいれば切磋琢磨して、自分の個性を成熟させていくことができる。僕も早い時期に東京に出ていたら、今のような絵を描いていたかどうか。たぶん目先のことに流されていたでしょう。関西にいると、流行に敏感にならずにいられる。それがメリットだと思います。

絵を志す若者へ:「回り道をしたことが、その人の個性になる」

●佐藤:回り道をしてたかなと思うことが、じつは役にたっていますね。だから、若い時は、役に立ちそうな目先のことばかり追いかけないこと。「こんなことして何になるねん」って思ったことが、あとあとけっこう役に立つ。その回り道がその人の個性ということ。回り道をしながら感じたこと、孤独をかみしめたことが、自分の個性になっていく。みんなと同じことをしていてもしようがないと思います。

●西口:SPOONにいると、何でも描かないといけない。建築パースを描いて、次の日は、野菜のイラストを描く。その次は、魚……。いろいろ描かされましたよ。一日50点とか(笑)。
生活がかかっていたので、いろいろ描きながら、「もっとうまくならないと」と思っていた。だから、夜中に“自分の絵”を描くんです。昼間は仕事をして、夜はやりたいことをやる。寝る時間があったら描いてた。

●佐藤:好きだったら、それができる。

●西口:僕は、中学生の時から『プレイボーイ』で絵を描きたいと思っていた。小さいころからずっと見ていたから、どんな絵が合うとか分かっているんです。だから、『プレイボーイ』の編集部から電話があったときは、マジ? と思いましたよ。

●佐藤:会社にいると、いろいろなタッチのイラストを描くでしょ。だから、徐々に坂を登っていくのではなくて、クッと上に上がって、ひと皮むける。そんな感覚でしたね。若い人でも何かがきっかけになって、クッと上にいける可能性はあります。見ていると分かります。「これだ」というのに気がつくと、態度までちょっと変わってくる。

プロ意識とは:「面白そうだと思ったら、もう動いている」

●中村:西口さんは、仕事が入ってきたら、今でも断らないですよね、絶対に。これはすごいことだと思います。ふつうはいっぱいだと断るんです。でも、西口さんの場合は、人が1枚のところを、徹夜してでも3枚、完成させる。

●佐藤:売れてる人は断らない。自分のキャパいっぱいに仕事をしようとしますね。中堅クラスだと、手いっぱいとか忙しいとか言う人が多いけれども。

●西口:ベテランというか苦労して来た人たちは、違いますよね。面白そうだと思ったら、もう動いてます(笑)。

●中村:それが本当のプロだと思います。時間がないからできないというのではなくて、「やりたい」という思いのほうが強い。いろいろな経験を積んで、自分に何ができるか、自分は何をやりたいか、そんな目標をもったほうがいいと思います。
今の若い人って、絵がうまいと思います。うまいというと語弊があるかもしれないけれど、学校を卒業してすぐにイラストレーターになる。で、そこそこうまい。昔のイラストレーターというのは、たとえば、10年間ぐらいは修業期間で、その間は黙々と絵を描いていた。でも、今の若い人は量を描かない。僕も若い人と話をすると、「たくさん描いたほうがいいよ」とは言うんですけど、時代が違うんですかね。昔は1ミリの間に何本の線を引けるかという、技術の時代だった。今は筆じゃなくてコンピュータですし、技術よりも感性を追求してるのかもしれませんね。

●佐藤:ポッと出てきて、パッとうまくいく。これはあまりよくない。早く世に出てしまうと、いい習慣が身に付かない。売れなかったら一生懸命に努力するでしょ。その努力したことは、あとで必ず役に立ちます。

●中村:デザイナーやイラストレーターに限らず、今は業界全体がコンピュータに頼るようになっている。イラストに限らず、経験を積むための時間が短縮されてしまった。だからこそ、自分を磨かなければいけない。学校で学べないこともたくさんあるわけです。人に会うとか、映画を見るとか、小説を読むとか……そういうことにもっと目を向けて欲しいですね。

●西口:昔は人が成長するのを待つ余裕があった。僕もずいぶんと待ってもらったと思っています。今、待てるかどうか、ですね。

絵を描くことの素晴らしさ:「絵というのは、言葉がいらない。作品で判断してもらえる」

●西口:絵を描いて、それが仕事になる。お金をもらって、生活ができる。こんな幸せなことはない。自分の目を通して見る、絵描きとして見る社会というのは、ふつうの人とは違うかもしれない。そして、日々、本当に小さいことでも、「これが絵になるかも」とか、いろいろなことを考えながらうろうろしている。人とは違った人生を歩んでいるような気もするし、生きていく術としては素晴らしいと思う。だから、そこに迷いはないですよね。

●中村:僕はもともとはグラフィックデザインの出身ですが、イラストレーターの場合は個人ですよね。競争も厳しいけれど、自分ひとりで責任をもってできるという意味では、素晴らしい職業だと思います。だから、関西とか東京とかは関係ない。

●佐藤:絵というのは、言葉がいらないんですよ。作品で判断してもらえる。作品を見てくれた相手の顔色で、評価がわかる。だから、コミュニケーションが上手でない人でも、相手の言うことを聞く耳があれば、やっていける。それと、絵にはその人の本質が出る。思っていること、空想していること、経験してきたこと……いろいろなことが絵に出る。本人が出てくるのが絵だから、絵を仕事にしたいのなら、自分を変えていくようにしたらいいと思う。

絵を学ぶことについて:「学校の課題を仕事と思うべし」

●佐藤:課題を出されたら、自分に合う合わないとかではなくて、一生懸命に取り組んでほしい。“今”に全精力を注入してほしい。後で描けるとか、年をとったら描けるとか、そう思っちゃだめです。

●西口:学校の課題が仕事ぐらいに思ってほしいですよね。取り組み方に今のうちから慣れておけばいいんです。

●佐藤:自分で自分にギブアップしたらダメ。たとえば、夜中の12時までやってギブアップではなしに、朝までやる。そうした積み重ねが、その時は役に立たないかも知れないけれど、余分にやった積み重ねというのは、いずれきっと生きてくると思います。

●西口:遊ぶのも楽しいけれど、絵を描くことを楽しんでほしいですね。楽しめる時期というのは、今しかないから。

●佐藤:楽しんでるヤツには勝てない(笑)。

●中村:先生の言うことを素直に聞くこと。課題をきちんとやること。それに尽きるのはないでしょうか。

●佐藤:素直なヤツって伸びるよね(笑)。

[PROFILE] sato.jpg

佐藤邦雄/さとう くにお
’40年、大阪府生まれ。’65(株)エーシー(デザイン部)入社。1年後イラスト部に移る。
’76年イラストレータ-集団(株)スプーン設立。2000年に(株)スプーン退社。主な仕事に、NHKおかあさんといっしょ「ドレミファ・どーなっつ!」のキャラクターデザイン。画集「ぼくの動物美術館」、「佐藤邦雄 動物イラストレ-ション」など。’60年、Kunio Galleryオープン。成蹊大学客員教授。

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西口司郎/にしぐち しろう
’48年、長崎県生まれ。’68年(株)エーシー(イラスト部)入社。
’76年、(株)スプーン設立に参加。
’96年に同社の代表取締役に就任。
主な受賞歴に、サントリー奨励賞、朝日広告グランプリ、日経広告賞部門賞など。

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中村譲/なかむら ゆずる
’51年、京都市生まれ。’71年、(株)エーシー(デザイン部)入社。’79年(株)スプーン(マネジメント)入社。2005年に同社代表取締役に就任。主な仕事に、USJオープンビジュアル、阪急百貨店、松下電器、シャープ、積水ハウス、松下電工、江崎グリコ、関西電力、サントリー、大阪ガス、小学館、講談社、徳間書店、学研、大手広告代理店など。イラスト・プロディース・マネージメント。

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